SPECIAL

「俺たちニューウェーバー」

#1

ニューウェーブとは1970年代の終わりから80年代にかけて世界中で起きた 一大ムーブメントのことである。
パンクロックの地震によって起こった音楽の新たな波は世界中に伝播し、それが津波となって80年代の音楽シーンを覆い尽くしたのである。

楽器がうまく弾けなきゃバンドは出来ないし曲もつくれないってな価値観をシンセサイザー片手にいとも簡単にブチ壊す若者たち、既存の音階、既存のビートから逸脱し、
ノイズや実験的な音をレコードに刻み込む者(ドラム缶 をたたいたり、工事に使うドリルを使用する者までもが登場)などなどなどが次から次へと波に乗ってやって来るような時代に多大なる衝撃を受けた世代の田島貴男と木暮晋也。

そんな二人が今、ニューウェーブを振り返る……いや、振り返らない(?)。

01.俺たちニューウェーバー!?

ファッションの面でも影響はうけましたか?
田島
僕はダイエースプレーで髪を立ててて。
木暮
田島は郡山のイアン・マッカロクだったからね。
田島
はははは。うるさいよ!
木暮
で、俺は郡山のロバート・スミス(笑)
田島
とりあえず風呂あがったらまず下をむいてスプレーかけてさ、

髪の毛を逆立てたまま寝るのよ。朝起きても髪は立ったままでさ。

あの頃、ダイエースプレー300円くらいだったかな?

それを3本くらい買ってね。

木暮
一回か二回使っただけでなくなっちゃうんだよね。
田島
木暮は大学の頃、頭の横を剃ってたよね。
木暮
2ブロックにして。BAUHAUSのダニエル・アッシュとかロバート・スミス路線ね。
田島
あと、オーバーコートも二着持ってたな。

一個がおふくろのおさがりでもう一個は東京の古着屋でかった

ボロボロのロングコートを着て。

音楽的にはどのような影響をうけました?
田島
そもそもね、曲作ったりモノを作ったりするっていう作るっていう行為自体が

すごい楽しくてヤバくてカッコいいものなんだってことを、

ニューウェーブで知っちゃったんだよ。

木暮
だからこそ曲を作るようになったのかも。
田島

そうそう、ニューウェーブに出会って、

曲つくりてえ!っていう気持ちになって。今もそれは変わってないんだよね。

だから『どんな音楽やってるの?』って聞かれたら、

ファンクやってますとかいろいろあると思うけど、

僕はやっぱニューウェーブなんだよ。

今でもニューウェーブの上になりたったポップスをやってるんだよね。

なるほど!
木暮
やっぱりそこを通過しちゃったからね。

ニューウェーブ・ムーブメントがなかったら楽器を弾いてないと思うし。

録音とか自宅録音しようって気持ちにならなかったな。

ニューウェーブ=宅録みたいなのがあったよね。

田島
あったね。宅録がかっこよかった。それが最先端で、

それまではスタジオでバンドでやろうってのが当たり前だったもんね。

木暮
俺なんかバンドやる前に宅録はじめちゃったから、

ベースがどんな形でどの音がベースなのかわからなかったもんね(笑)

はははは。
田島
FLYING LIZARDSの『Money』 とかがヒットして

渋谷のPARCOでかかってて、すげえかっこいい!って思ったけどさ。

あれの制作費なんて……。

木暮
5000円だっけ?
田島
いや、500円くらい。
木暮
はははは。とにかくそのくらいチープな録音のものでもいいみたいな。

あれで勇気をもらったよね。パンクやニューウェーブがなかったら、

曲には普通にうまいギターが入ってくるのが当然だったから、

そういう曲が自分に作れるとは思わなかったはずだし。

田島
下手な方がかっこいいっていうのもあったよね。

下手でもクールならばOKみたいな。

うまくてダサいってのが一番ダメみたいなね。

僕は反動でニューウェーブの後にルーツミュージックとか黒人音楽の方向に

いっちゃったんだけど、曲作ったりとかそういうのはずっと

ニューウェーブの感覚でやってるよね。

木暮
やっぱりそうなっちゃうよね。そっから始めたし。

楽器を先生にならったりはしてないし、音楽の勉強やったわけじゃないから。

田島
当時の美学ってのは、勉強した音楽や楽器の修練を否定するとこから

始まってるとこがあって、そんなの関係ないっていうのが

ニューウェーブだったからね。

でも今はさ、ちゃんと修練して音楽やってるって……

それはそれで正しいんじゃねえかって思うけどね(笑)!

木暮
たまたま自分はそうじゃないほうにいったけどね。

どっちが正しいっていうのはなくね。

田島
なんでも斜にかまえるみたいなのは悪い傾向かもしれないな。

ストレートじゃないほうがクールだってのはいいとこもあったけど

悪いとこでもあって。

それをを引きずってる部分で今はちょっと反省もあるけどね。

ただ、僕はニューウェーブの中でも突き抜けちゃうポップスを

やりたかったんだよ。インディーズブームってのが起こったばっかりで、

音楽マニアはみんなちっちゃいとこでやろうとする傾向があってね。

木暮
そうだね、あえてそういう方向にね。
田島
反プロフェッショナルっていうか反テクニカルみたいなとこで

やってるけど、部活でいいや、うけなくてもいいやみたいな風潮もあって。

でも、そういうのって全然おもしろくねえなって思って。

メジャーな歌謡曲とかと同じ土俵にニューウェーブ魂をもって上がって

アートみたいなことをやるのが一番かっこいいと思って。

オリジナル・ラヴは今でもそうやってるつもりなんだけどね。

ポップフィールドにいるニューウェーバーっていうかね。

海外だとそれをなしえている人たちがいますもけど、

日本ではなかなかいないですもんね。

木暮
ニューウェーブってポップだよね。

ポップだったからこそ好きになった部分もあったし。

ニューウェーブがポップスを復興させた部分もあるでしょ? 

ネオアコなんか特にバート・バカラックやサントラ、

60’sポップスの見直しだったり。

木暮
ネオアコっつうのもパンクがあってこそのものでさ、

単なるポップなものじゃないんだよね。

田島
一回転したうえでのポップスっていうかな。

Burt BacharachとかBEATLESをニューウェーブ的な見方でとらえなおして、

ルネッサンスしていくというかね。

SPECIALSはスカを復興させ、STRAY CATSはロカビリーを復興させると。
木暮
そうそう。ウェーブだ!とかいっても、

まったく今までなかったものじゃなくてリサイクルしていったものがあった。

田島
70年代に一度分断していっちゃったものをさ、

ポップスのなかでもう一回クリエイティヴな部分で

捉え直すみたいなとこもあった。破壊するばっかりじゃなくて、

もちろん破壊ばっかりの人もいたけどさ。

Einstu¨rzende Neubautenとかですね。
木暮
Einstu¨rzende Neubautenのライヴを観に行って

一番すげえなと思ったのは、ブリクサがステージに出てきたら

ギターの弦が3本しかはってなかったんだよね(笑)。

オープニングで弦が3本ってだけでもう、やったー! さいこー! みたいな。

田島
弦が6本ってダサいみたいなのがあったもんね。

B-52’sは2本弦だったし、オリジナル・ラヴの前身のRED CURTAINも

最初8弦だった。

木暮
弦は6本である必要ないんじゃないかみたいな、

自由な発想があったよね。

田島
あと、ギターの弾き方にしても普通に弾かないとかね。
チューニングが狂ったままだったりとか。
木暮
そういうぶっ壊しと捉え直しだよね。